*徒然なるままに#

 


「旅とは」*001

旅をする事は小さい頃から好きで、今まで色々なモノで色々な所へ行った。
(私は旅の上級者の方からすれば、まだまだミーハーなレベルです)

 

日本国内は東北の一部以外の県は全て行きました。

海外は、タイにペルー、現在はドイツで旅中です。

旅行とはいわず、あえて旅と書き込んでいるのは、

私は基本的に一人旅で、私の中の定義は

一人で行くのが旅。

家族や友人、恋人と行くのが旅行かな?と思っています。

 

この機会に辞書とネット調べてみると、辞書では明白な定義はないとの事です。

ネットで検索すると沢山と色々な意見が出てきました。

(人によって定義は異なるため気になる方は各々で調べてください)

軽く調べただけですが、結論は、

 

旅でも旅行でもどちらでも好きに使えばいいと思います。笑

 

 

少々、前振りが長くなりましたが、旅と旅行の違いは本題とは関係ありません。

本題は少し前に、ある方からいわれた一言にビックリして、旅とは何かを改めて考えさせられた事です。

その一言は、

 

 

『旅なんかよくするな?俺、旅とか嫌いやから理解できんわぁ〜』

 

 

っと、言われた事です。

小さな頃から、家族や兄弟で旅行、旅をしてきた私にとって、衝撃的な言葉でした。

この世に旅嫌いな人がいるなんて。

なぜ旅が嫌いかというと、

『家があるのにわざわざお金を払って泊まったり、このご時世、

 ネットで景色を見たり特産物は買えるのに遠くに出向く意味がわからない』

との事でした。

考え方は人それぞれあって良い事だ思います。

だけど、旅好きの私はそれを理解出来ない。

色々と考えているうちに自分自身に引っかかったのは、

 

なぜ私は旅が好きなのか。

 

物心ついた時から旅行、旅をしていたので、考えた事もありませんでした。

旅は楽しいのは間違いないが、旅には楽しいだけではない要素も沢山あり、

嬉しくない出会いも沢山ありますし、野宿先で危うく死にかけた事もあります。

それでも旅をするのは、やはり素晴らしい方々と出会えたり、街の生活では絶対に

体験出来ないことを体験出来たりする事はとても有意義です。

だから、旅が好きなんだと思います。

 

これが好きな理由?で、いいような気もしますが、色々考えていて

一つ気付いたのは、私は定期的に旅に出ないと元気がなくなる。

と、いう事です。

 

ある意味、旅中毒です。

 

極端にいえば、旅とはタバコやお酒みたなモノで、

味や楽しみ方を知ってしまったら、余程の強い意志がないとやめられない。

そんな様なモノなんだと、気づきました。

(旅はやめる必要性はそんなにないですが 笑)

 

そして、タバコもお酒もやらない人からすれば理解に苦しむモノです。

そう考えれば、旅嫌いな人がいる事も私なりに理解できます。

 

常々、物事は様々な角度で見て判断する様に心掛けていたつもりでしたが、

物心ついた時からの私にとっての常識を様々な角度で見るという発想自体ありませんでした。なんと井の中の蛙な私。。。笑

旅のおかげで初心に帰れた気がする今日この頃です。

 

何はともあれ、

私は中毒者なので、この先も色々なモノで色々な所へ行くと思います。

「自然体であるがままに」#07

「全力を出し切る時間」と「ゆっくり過ごす時間」
いまの現状に対する有り難さと
満足することのできない物足りなさと
 
何を為すべきなのか
拭いきれない欲塗れの自分と
特に何も求めていない自分が
 
やればやる程、
目の前のことに集中すればする程、
なんだかよく分からなくなる。
 
だからこそ
やれることをやれる時にやるだけであり、
そのやれることから学ぶことで
その先に繋がる何かがあり、
 
”そのなにか”ではなく、
大切なことは、”丁寧にやること”でしかない。
 
経済的な視点や政治的な背景、
現状に対する不満や
これからに対する希望、
過去に対する諸々の捉え方は、
 
いま、ここに居る自己のみが、変えていくことができる。
 
問われていることは
いまの自分自身であり、
 
限られた時間の中で、
時間に縛られることなく生きていくために
余裕やゆとり、知識や経験値が必要である。
 
必要であると感じていることが
本質的には必要ではないのかもしれない。
 
必要であると感じていることが、
自然と振る舞える瞬間、その軌跡の延長線上に答えがあるようにも思う。
 
自然を肌で感じ、全力を賭す場所と
社会的に求められることのバランスの中で、
 
いまの自分に対するあり方を模索していくこと
模索ではなく、ただ自然と時の流れに体を預けること。
肩の力を抜いて。
 
それが
”生きていく”ということなのだと思う。

「冷やかな朝に」#06

”趣味”と ”仕事” の境界線が無く、混在してしまっていることを是とし、
”公私混同” を突っ通して、
前のめりに倒れることを由とし、
立ち止まることを恐れず、
振り返る余裕も無く、
ただ時が過ぎていくことに腑甲斐なさを抱き、
 
目の前にある事象に対して、
ただ全力でやれることを、
ただ心から楽しむことを、
体が喜びを感じていることを、
 
一時、一瞬の ”何か” を感じながら
何気なく一日を”生きていく”という
 
たったそれだけのことに対して、
全うする。
 
そうあれる日常に”感謝”の心を
その ”感謝” の心に対して
己の命が、心が、
”やれること” に対して
”覚悟” を持つことができるのか。
 
その心は、今日の日の澄み渡った心地よい空気のようで
冷やかな今日の朝は、
朝日と共に活動を担うことのできる体に喜びを感じ、
 
ただ
そこにあるのは、
今日この一日をじっくりと
丁寧に
 
そして
心が感じるがままに
生き抜くこと。
 
生まれてから死ぬまでの時間を
生き抜くということ。
 
少しの緊張感と
その心にある張りを感じながら、
 
いま目の前にあることに対して、
集中して取り組むということ。
 
弱さや怖さ、欺瞞心も含めて、じぶん。
心が感じるままに
素直に生きていくことに対する覚悟。
 
探し求めていた ”何か” は、
たったそれだけのことなのかもしれない。

「 踊る人たれ 」#05

  ” 踊る人であれ ”
今後、来る10年のあり方に対して
自身の主体者として、その目の前にあることを” 楽しむ ”

社会に出て、感じたこと
社会に出る前に、感じていたこと

いま、その両方を顧みて思うことは、
ただ、社会での役割や立ち位置、自身の能力や至らなさ
今後の方向性などに捉われ、

しかし、諸々を引っ括めて
自分は” どうありたいのか ”を問い続けることが
こんなにも苦しく、こんなにも素敵なことであり、
表現するための場が見当たらず、
手当り次第にぶつかってきたことが血となり肉となって、
目の前にある還元できる場所に
いまぶつかることができているからこそ
その” 機会 ”から逃げ出さず、しっかりと楽しむ。

変化を促し、変化することに価値を見いだし、
変化することを恐れ、また楽しみ
自分が自分で無くなってしまうようなこの感覚を大切にしたい。

 


椎名林檎×斎藤ネコ+椎名純平 - この世の限り