*徒然なるままに#

 


「目的」と「目標」#04

「目的」= object :その実現に向けて行為が行われる事柄(対象)の意。

「目標」= target :そこまで到達しようと定めたところの意。

 

ふだん何となく使っている言葉。

無意識に意味をとらえ、自然と会話を通じてコミュニケートしている。

それで何不自由無く生きてきた。

 

しかし、ふと調べてみて感じたことは

”英単語と共に比較する”ことの重要性であった。

 

コトの発端は、昨今のカタカナ英語に対する違和感であった。

もちろん普段から出来うる限り、やたらめったらに使わない様に心掛けてはいるが、

じぶんもふだん何気なく使っている。

 

「テーマ」と「コンセプト」の違いを明確にとらえて

使い分けている、受け取って行動に移している人々がどれほどいるのか。

例を挙げ出したら枚挙に遑がないが、カタカナ英語と日本語の使い分けを含め

使う場と相手といった外的環境に応じて、意図を持って使うべきであると思う。

 

 

教育の現場に携わる身として、

伝わらない手段を用いることを避けたいと自戒しているつもりではいるが

”カタカナ”を全く使わないことを是とすることにも違和感がある。

 

そのために、まずは発信する側がしっかりと意図を持って

用いるべきであると感じている。

 

言葉を受け取る側が、意味が分からないときにしっかりと訊ねてくれれば良いが、

会話の流れや羞恥心といった要素を考慮すると

どうしても的確に意思疎通を図ることの障害となっている元凶の一つであると思う。

 

 

 

 

「だんしゃり」#03

だんしゃり:断捨離

入ってくる不要なモノを断つ、不要なモノを捨てる、モノへの執着から離れるの三原則をもとに、モノを整理するだけではなく、暮らしや人生を整えていくプロセス。

[2009年(平成21年)に発売されたやましたひでこの著書で提唱された概念]国語辞典より

 

 

前に進むために、持ち得る武器や考え得る智を駆使して

立ち止まりながらも前のめりに進んでは来たつもりではあるが、

情けない程に全く活かし切れていない。

 

頭が飽和状態であるいま、自身のキャパが超えてしまったのか。 

器を広げるために、勝手気ままに行動してきたこれまでに対し、

指して無理やり前に進むつもりは毛頭無いが

身動きが鈍くなっているからこそ

自然体に次の一歩を踏み出していけるようになるためには、

なんとなく「断つ・捨てる・離れる」を腹の底に据える必要性を感じている。

 

もっと身軽に、もっとシンプルに。

 

余分なモノが多く、エネルギーが分散してしまっているからこそ

その中から、「選択し集中すること」が重要であり、限られた時間の中で、

やれることの多くは集中することのできた時間に比例し、

集中するために選択し、行動することが大切であるように思う。

 

だからこそ

「入ってくる不要なモノを断ち、不要なモノを捨て、モノへの執着から離れる」

ために、一旦この3原則を念頭に置き、行動してみようと思う。

 

素直に、柔軟に、臨機応変であるために。

 

「スマホと育児」毎日新聞、社説欄より #02

視点 論説委員、重里徹也

◇大切にしたい成長過程


 日本小児科医会は乳幼児(小学校就学以前の子供)がスマートフォンに接することを控えるように保護者などに呼びかけている。子供と電子メディアの関係を考えるきっかけにしたい。

 スマホはすさまじい勢いで普及している。ベネッセ教育総合研究所が今年3月に首都圏在住で生後6カ月から6歳までの乳幼児を持つ母親3234人に調査をした。スマホを使っている母親は全体の6割。29歳以下では8割にのぼった。スマホを使っている母親を持つ2、3歳児の2割超が、ほとんど毎日、スマホに接していた。

 こうした実態に対して、日本小児科医会は「スマホに子守りをさせないで!」と題したポスターを作製した。2004年に「2歳までのテレビやビデオの視聴は控えましょう」などと呼びかけて以来の取り組みだ。

 同医会理事の内海裕美さんは、外来患者や街の親子を見るに見かねたのだという。

 まず、乳幼児期には成長のために、視覚だけでなく嗅覚や触覚など身体の五感をフルに使うことが必要で、スマホで習慣的に赤ちゃんをあやすと成長をゆがめかねないと警鐘を鳴らす。

 積み木遊びをすると、木の重さや硬さ、においを感じ、腕に落ちれば痛みを感じる。砂遊びでも同様だ。バーチャルな体験を重ねても五感は養われない。

 内海さんは、乳幼児が泣けば、なぜ泣くのかを考えることが大事で、親子はそんなやりとりの中で、一緒に成長していくものだというのだ。

 親がスマホに熱中して子供のことがおろそかになるのは困るし、抱きしめたり、絵本の読み聞かせをしたりすることの大切さはいうまでもないだろう。

 一方で、子供向けのアプリが多く開発されている。乳幼児がスマホに接する時のガイドライン作成にかかわった山内祐平・東大准教授は親子が一緒に接するべきだと強調する。「2歳以下は電子メディアに接するのは1日30分以内に、3歳以上も保護者とコミュニケーションしながら接するのが基本で、2時間が上限でしょう」という。

 米国では子供向けのテレビ教育番組が言語能力の発達を促すという研究もある。家庭環境や成長具合を考慮し、アプリを選別して、保護者が自覚的に電子メディアを使うことが必要だと山内さんは指摘する。

 問題は乳幼児だけではない。子供たちの視力の低下が深刻で、スマホなどの影響が考えられる。ネット依存症も心配だ。

 スマホは便利な道具だが、その使い方を家庭や教育機関がしっかりと考える時にきている。

URL:http://mainichi.jp/opinion/news/20131224k0000m070111000c.html 

 

道具は扱い方一つ。

いま一度、歴史から学ぶ必要性をとらえ、後世に伝えて生きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「無知の知」#01

 

知らないからこそ進んできたこれまでの道。


知らないことから始まり、
知らないからこそ知るために行動に起こす。

知らないことが当たり前であるにも関わらず、
知ることに対するどん欲な姿勢も無いまま育った自分が、
一方的に学ぶ側の立場から、
人様に何かを伝える側の立場になってはじめて、
学ぶことの本質である「無知の知」に
少し触れることができた様に思う。

それと同時に、がむしゃらに進んできたこれまでと違い
生きてきた人生、特に社会に出て経験したすべてのことが、
この先に進む一歩を鈍らせる。

「やるべきこと」と
「やれること」と
「やりたいこと」は違う。

そんなことの意味も分からないまま、過ごしてきたこれまでと
「やるべきこと」に趣きを置き、
「やれること」を維持しながら、
「やりたいこと」の意味を模索し続け、

心の底では何度も
「もうええんちゃん、やれることの範囲で食えてれば」
という思いと、
「やりたいこと」のくすぶっているまだ腹の底にある熱源に対して、
向き合うことのできていない自分がもどかしく、
経験し、知れば知るほど怖くなる自分がそこに居て、
多様な視点で物事を理解し、判断しようとすればするほど、
次に進む一歩に臆病となり、神経質になって動けなくなる。


「知らないこと」からすべてがはじまり、
「知らない」からこそ行動に移す。


これから進む先がどうであろうと、
無知の知」をしっかりと心に据え、
「知ること」に対してビビらず、
強くあろうと思う姿勢、態度が大切なのだと思う。

そしていま、
重くて重くて動かし方を忘れてしまいそうになっていた一歩を
また新たに踏み出そうと思う。

焦らず、一歩一歩を丁寧に。